ジェラルド・ウェイという男

My Chemical Romanceってすごく嫌いなバンドなのね。音楽をハードにしたバンプ・オブ・チキンみたいなやつらだと思ってる。自身の傷を餌に、同じ傷を持つやつらを釣り上げる感じ。要するに傷のなめあい。ファンとアーティストの近すぎる距離感、連帯感もまた見ていて気分が悪い。
インタビューでは、いじめられっ子とまではいかないまでも、どこか疎外感を感じながら生きた少年時代の話が中心。そういえば、いつか立ち読みした医療漫画医龍で、禿げた長髪のおっさん医者が、「気持ち悪いよね、みんなのフルネームが言えるやつって」みたいなことを言っていたことを思い出す。このボーカル、ジェラルド・ウェイてやつはそんな子どもだったんだなあと思った。弟思いで母思い。家族が大好き。だから、家族を愛するのと同じように、赤の他人も愛してしまう。クラスでは中心ではないくせに、中心人物がやるべきことができちゃうし、やっちゃう。だから「それはお前の役目じゃねーよ、よけいなことすんなボケ」と言われる。でも、自分はなぜそれがいけなかったのが理解できない。大人はそれを「空気が読めない」というのだけれど。
そんな「気持ちが悪い子ども」のまま、大人になってしまった男、ジェラルド・ウェイ。インタビューの中で、6歳か7歳の頃に学校でピーターパンを演じたことを語っている。本来ならば女の子が演じるべき役を引き受け、しかもそれを立派にこなしてしまったということから、『それまで築いてきたものをすべてだめにした』*1という。大人であろうと子どもであろうと、自分の役割にあった演技をしなければならない。分相応というやつだ。「男のくせに、気持ちわりー」といった感情があったかどうかは分からないが、それに似た感情があっただろうし、このような感情は、日本人もアメリカ人も変わらないらしい。しかしこの男は、この体験を「シンガーとしての初めての体験」だと語っているのである。こいつ、30にもなって何にも分かってない。こんなガキの頃のささいな体験が、自身の中で巨大な経験として語られているのだから手に負えない。

いい年こいた大人が、ガキの頃の体験と現在の体験を並列に語るなんて実にみっともない。だいたいひとつひとつの出来事の優劣や価値を相対的に判別できずにいることは、実に幼稚なことだ。そのような性質は、少年期に誰しもが抱えるものの、周囲との軋轢によって徐々に失われていく。賢いこどもはその事実にいち早く気付き、すばやくそのような子どもを攻撃する側にまわる。だいたい子どもの中ではそんな人物がリーダー的存在とされることが多い。
「お前、だせえよ」
「お前、キモいよ」
リーダーから、またはその取り巻きの連中から放たれる言葉、時には言葉の形を伴わないものに屈服することによって、その子どもは軍門に下るのだ。ところがこの男は、軍門に下ることはなかった。だから、孤独だったろうし、辛い思いもたくさんしただろう。でも、なぜ自分がそんな思いをしなければならないのかは、正しく理解できなかったに違いない。

なぜ僕が、こんなにもこの男と、このバンドと、このバンドのファンを嫌うのか。

彼らは、そんな幼稚な子どもの感性を持ったまま大人になり、それによって生じる不都合と不利益を蒙りながらもその原因がわからない。なのに、見当違いの理屈をつけて、あたかも解決できるかのようにふるまっている。違うだろう。その答えはお前達の中には無い。断じて無い。答えはお前達の周りの人間が持っているのだから。取るべき手段はその対象にへつらうか、対決するか。現状に対してイエスか、ノーか。ただそれだけのはずだ。

僕は、同世代の人間の中では、おそらく最も遅くに、その現状に対して「イエス」と答えた。ジェラルド・ウェイという男は、それまでの僕にそっくりだ。彼は僕である。しかし、僕は彼ではない。僕は、その過程は決して楽なものではなかったが、そんな自分と決別したのだから。だからこそ、目の前にそんな人物が現れることは迷惑この上ない。摘出された臓器を見せつけられるかのような嫌悪感。同族嫌悪と言って差し支えないが、それと同時に、この男の「じゃあ君はそれでよかったの?」と問いかけるような眼差しが余計に心をいらだたせる。

自分は不完全だと言ってしまうことは、力づけられることでもあると思うしね。ある意味自分を解放してくれるというか、そういうことを言ったり、ステージで自分の中の醜い部分をさらけ出す曲を歌うっていうのは、実は気分がよくなることなんだよ。
ロッキング・オン(2007年4月号)P43

「現状に対して、イエスでも、ノーでも無い答えがあるんじゃないの?僕はそれを見つけたんだ。」僕にはそういっているように聞こえる。彼らは世界を席巻した。世界はそれを認めてしまった。世界は僕を裏切った。だから彼らのことが嫌いなのだ。


追記 2008/8/6
いまさらになってコメント欄が再燃しております。マイケミファンの方でリテラシーの低い方は、どうか必ず以下のエントリを読んで、その上でコメントはそちらの方でしていただけますか。
続 ジェラルド・ウェイという男 - 新・灰日記

あと、当エントリに対する批判はコメント欄でしていただいておおいに結構なのですが、他者のコメントに対するコメントはやめていただけませんか。当方、このエントリを削除する気は毛頭ありませんが、コメントも削除する気もまったくありません。しかし、このままコメント欄が他者へのコメント(要するに.aさんへの反論)で埋められてしまうことは本意ではありません。つーかマナー違反でしょう。

蛇足ながら。私は、マイケミを愛する自由よりも、言論の自由の方が何より大切だと思うのですが、みなさんはいかがお考えでしょうか。

*1:本文中では、そのようなことを話していたということをインタビュアーが本人に確かめ、「その通り!」という答えを引き出している。