月光条例(24)


コミックス派なので、うわさの見開きをさっき初めて見た。


少年サンデー15号に掲載された「月光条例」がヤバいと話題 #weekly_sunday - Togetter


もうこれは書かずにはいられない。


まとめとかを見てると、どうも賛否両論である。
中には「手抜き」なんていってる人もいる。


最近「月光条例」というマンガの演出がすごいと話題になって... - Yahoo!知恵袋


手抜きとかいう奴は正直言ってアホだと思う。


藤田和日郎はそれよりもずっと前から伏線を張っていたのだから。あの見開きは、「満を持して」という言葉が最もふさわしい。
最終章が始まった21巻で、漫画家「ふぢた」が登場する。代表作は「からぶりサービス」なんて言ってるが、どう見ても藤田和日郎その人である。
3ページにもわたって月光たちにからんでいるどころか、そのあとも月光のラーメン屋に出入りしていることが確認できる。


このことから、「ふぢた」は、作中の登場人物として描かれていることが分かる。モブでも、漫画的なメタ表現でもない。「登場人物」である。


この物語には、メーテルリンクや、センセイ(どう考えても宮澤賢治)といった、「サクシャ」が登場する。
漫画家である「ふぢた」は、「サクシャ」という登場人物の一人となったのである。
そして、この物語に「サクシャ」として登場するということは、同時に、彼らが書く作品が、「消滅」させられる可能性を含むこととなる。
つまり、21巻からは、「サクシャ」である「ふぢた」がいる世界が描かれているのである。


だから、「満を持して」なのだ。21巻からすでに、月光条例の「サクシャ」は、作中に存在しているのだから。あの見開きは、その結果なのである。




そうすると、大きな問題が浮上する。うしおが消滅し、からくりサーカスが消滅した後でのあの見開きは、月光条例が「消滅」したことを表現していると言えるだろう。ところが、それ以降にも物語は続行する。
それではいったい、誰がこのマンガを描いているのか?



今後の月光条例は、このことに注目して読んでいきたい。



余談ではあるが、宮澤賢治の童話集「注文の多い料理店」の序文には、次のような一文がある。
「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。


「月打」のモチーフは、きっとここにある。もしそうだとすると、今後の「センセイ」の再登場の可能性もあると、個人的に期待している。
頼むよ、センセイ。