児童会祭り前日

今日は児童会祭り前日だ。以前http://d.hatena.ne.jp/high-d/20060606/1149605156で書いたように、クラスを二つの会社として組織化し、それぞれに部署を設けて進めてきた。今日まで経営部長を中心に、それぞれの会社が各自の活動を展開してきた。ここまで、特に悪くない活動を展開できていた。すべて子ども達で決め、子ども達が指示を出し、それを受けて活動していた。形はよく整ったように思う。しかし、何か足りなかった。表面的にはこちらが意図していた通りに進んでいる。問題も無い。こちらが口を出すこともほとんどなかった*1。それなのに、なぜ。それが今日までわからなかった。

そう、今日になって初めてわかった。前日だというのに、ちっとも進んでいないのである。6時間目も終わりに近づいているのに、まだゲームができない状態である。そこを無理やり打ち切り、店舗のシュミレーションを行う。あせる子ども達。だって何もできてないんだもの。時間はわざととらず、決められた時間でさっさと切り上げさせる。このままでは明日の本番では失敗することは誰の目で見ても明らかだ。見るからに落胆した様子の子ども達。そこで、こちらから会社ごとの話し合いを提案する。習い事や塾に行く子もいるため、任意参加の話し合いだ。テーマも与えない。しかし、話す内容は、全員の心の中で決まっていたようだ。「ここが駄目だった」。しかし、正直言ってびっくりした。この子達が自発的に反省会を開くなんて、普段の様子からは考えられないからだ。いつも学級会でやる反省会は、やらされてる感が充満した、優等生的発言が場の雰囲気を決める形式的なもの。それが今日は違う。誰ともなく、「お客役の子が〜って言ってた」だとか、「店員として、この時どうすればいいか分からなかったとか」話している。そして話し合いが進むごとに、その顔つきが、落胆した表情が、少しずつ明るいものに変わっていった。彼らは自分達で反省し、解決策を出すことができたのだ。

そこで初めて気がついた。この組織に足りなかったもの。それは「危機」だ。どんな組織にも「危機」は内在される、または外部からやってくるものだ。しかし、この子たちの組織にはそれがなかった。日常的に意識しなければならない「危機」((うまくいかなかったらどうしよう)、(このままじゃ間に合わない)といったもの。)が。いわば組織の大きな原動力ともなるこの意識が、前日になってようやく開花した。いや、開花させられたというべきかな。そして、今まで足りないと感じ続けていた「なりふりかまわず前進する姿勢」に、初めて火がついたようだ。明日は朝早くから来て作業をさせてくださいと言ってきた。いつもはめんどくさがって絶対そんなことしないのに。

多分明日はうまくいくと思う。そんな気がした。

*1:それに対して不平を言う子もいるわけで。「先生は何もしていない」と。そういう時は「何もしない」という指導を行っていると開き直る。詭弁ですな。でも、意外とコレが苦しい。どうしても言いたくなるから。我慢できなくなるから。