星新一「ボッコちゃん」

ボッコちゃん (新潮文庫)

ボッコちゃん (新潮文庫)

なぜ、教育のタグがついているかというと、木曜日に授業で扱うから。教材は「冬きたりなば」。せっかくなので久しぶりに読んでみた。

ショート・ショートの神様を論ずるほど技量も知識もないので、作品自体を論ずることは避けたいと思う。教材観なるものを示してみたい。ぼくは、「おーい、でてこーい」が一番好きだ。ベタだけど。あの結末部分の美しい風景の描写と、ラストの衝撃とのギャップが初めて読んだ時から全く色褪せていないのに驚いた。ここに星新一のすごさがある。まず、視点や、価値の逆転の面白さ。時にそれがシニカルで、ブラックな笑いとして描かれる。そして、簡潔で、客観的な文章が、その本来持ちうる「ドギツサ」を包み込んでいる。

うーん、それらしいことを書いてみたがよく分からない。うまく説明ができないものを、子どもに教えることができるだろうか?
ひとつ恐れていることは、こどもがこの作品を「理解」して「笑う」ことができるかどうか、という点である。派手なオチもなく、ここが面白いんだよというガイドラインもない。今のテレビにあふれる笑いは、本当にわかりやすいものばかりだから。こんな笑いを、子どもたちは笑いとして「理解」できるのだろうか。

ただ毒を吐けば笑いになる。世間や、馬鹿者に「キレて」みせることで笑いになる。違うよ、きっと。笑いはそんなわかりやすいものではない。毒でも悪態でもない、「ブラック・ユーモア」と「皮肉」。ああ、これなんだ、星新一は。

よし、めあては決まった。「シニカル」、「ブラック」。単純な構造を提示しよう。まずは「幸福→不幸」または「不幸→幸福」。そんな物語普遍のプロットから教材として提示しよう。「おーい、でてこーい」の結末はどうなるのか予想させよう。そして、星新一の視点、技能のすごさを感じられればいい。