宮部みゆき「名もなき毒」

名もなき毒

名もなき毒

よめさんが宮部みゆきが好きなので、借りて読んでみたのである。宮部作品は、実は初めてだ。文体は実に読みやすく、登場人物の心理描写もじつにていねいでわかりやすい。彼女が売れっ子作家だというのもよくわかる。人物、情景の描写が実に精緻なため、一読するとなんでもない穏やかなシーンでも、いつこの平穏が何者かによって壊されるのかという緊張感がある。村上龍あたりなんかだと、遠慮なくぶち壊してしまうんだろうなあ。そういった小説に慣れてしまっているだけに、よけいに恐ろしくて仕方がなかった。狙ってこんな文章を書いているのなら、天才だと思う。

さて。気になるのは、その登場人物のひとりである「原田いずみ」である。ネタばれになるので詳しくは書かないが、彼女はどこの教室、職場にもいそうな「困った人」。彼女はその「困った人」たちの「困った部分」を寄せ集めて作り上げられた怪物である。ものすごいデジャブ感があるのはそのためであろう。しかし、気がかりなのは、彼女がそのような怪物に成り果ててしまった過程がもう一つ詳しく描かれなったところである。作中で少し触れられる部分はあるものの、結局は「生まれついての嘘つき」という結論で、作品は幕を閉じてしまう。

いわゆる「人格障害*1と診断される人々は、対人コミュニケーション能力が著しく損なわれているというよりも、対人関係そのものを結べない点に特徴があるように思う。原田いずみの描かれ方はまさにそうである。コミュニケーション能力自体はあるのだ。しかし、コミュニケーション能力が、相手を理解する、円満な関係を気付くことに用いられず、自分の意思だけを伝え、相手との関係をこじらせることに用いられてしまう点に問題がある。そして、こういった症状は、おおむね家庭(母子・父子関係)など、環境を要因とする場合が多い。すなわち、このような性質は先天性のものであると断言できるものではないのだ。

昨今、明らかにこの手の人間が増えてきている。どの会社のCSにも、常軌を逸したクレーマー存在するだろうし、出会ったことのない人間などいないはずだ。そして毎日どこかの「普通の」人が、この手の人間の行動に振り回され、苦しんでいるはずである。厄介なのは、社会的に彼らは犯罪者や障害者*2といったレッテルを貼られていない、「普通の」人々である点にある。そうした現状を「名もなき毒」という言葉で表現し、作品のテーマとしているあたりは非常に評価できる。

しかし、そのテーマが宙ぶらりんのまま作品が幕を閉じてしまったことが、実に残念でならない。僕は、このテーマに気付いた時点から、ひそかに期待していたのだ。この現代における「毒」を、作者はどのように中和するのか。誰もが抱え苦しんでいる問題に対して、作者はどのような答えを用意しているのだろうか、と。しかし、結果的には原田いずみは排除されてしまうだけで終わってしまう。彼女は檻の中で、お気に入りの調査官と知り合い、それなりに楽しく暮らしているという結末は、いかにもとってつけたような円満さだけが残る。彼女は劇薬として厳重に鍵のかけられた薬品庫にしまわれてしまう。しかし、彼女の持つ毒自体は消えたわけではないのだから、果たしてそれは彼女にとって、また、我々にとって、幸せな結末と言えるのだろうか。もしも、社会がそれをよしとしてしまうなら、僕はどこか後ろめたい寒さを感じてしまうのである。

*1:http://akatan.cool.ne.jp/jinkaku.htm

*2:犯罪者と障害者を同等のものとして扱っているわけではない。犯罪者と障害者は、「刑法」、「障害者法」といった社会制度上の認定によって、(そうではない)普通の人と区別されていると言う点で共通しているため、併記した。誤解を避けるために補足しておく。