毎日新聞コラム 音のかなたへ「盗作か否か」

梅津時比古専門編集委員のコラム
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/music/otokana/

盗作問題について言及しているコラムだが、考察が非常に面白かった。
筆者は「似ている」ことと「盗作」を他者と主体の関係とし、「似ている」ことを

対象を他者として定立し、拮抗(きっこう)関係を持っているのである。

規定した。つまり、主体(私)が、対象となる他者を「自分とは異なる主体」として捉えているわけだ。
一方で、「盗作」についてはこのように述べている。

「盗作」か「似ている」かの差は、他者として対象と対話しているかいないかの違いによるだろう。

 もし、「モナリザ」の原画が隠されていて、その完全な模写だけがこの世にあったとすれば、人々はその模写を称賛するのではないだろうか。盗作をする人は、そういう状況を夢見ている。対象と対話しようとしているのではなく、対象を抹殺しようとしているのである。

「盗作」は、対象を「私とは異なる他者」とは捉えていないから起こりうるわけだ。「対象を抹殺」という言葉がなんとも小気味よい。

ポップ・ミュージックについても同じことが言えるだろう。「パクリ」か「オマージュ」か。「コピー」か「カバー」か。アーティストのオリジナルに対する「視点」から考察してみるのもまたおもしろい。