向山洋一「学級を組織する法則」

学級を組織する法則 (教育新書 131)

学級を組織する法則 (教育新書 131)

だらだらと、暇を見つけて読んでいた。雑誌に書いたものを編集しなおしているので、全体的に統一感がなく、つまみ読みしてもいいぐらいの内容である。

僕は、「法則化運動」なんて知らない世代である。それどころか、その影響が全国的であった時代の教育を受けた人間である。本文中に「チャレラン」のことが書かれていたが、実際に自分の教室にその本があり、しかも熱中してやっていた。(「寿限無」を未だに覚えているのはそのせいだ。)本書を読み、「ああ、あれのことか」と思い出した。ということは、あの時の担任は「法則化運動」に参加していたわけだ。なるほど。

法則化についてはよく分からないけれど、学級経営について向山氏が述べていることは共感できる。というより、自分がやろうとしていることと方向性が非常に良く似ていることに驚いた。まず、係活動を基盤とし、そこから子ども達の自発的な活動を促していこうとする方法。それらが組織の一部として機能させていく手腕が教師にとって最も必要な能力、コーディネート力だと僕は考えていた。さらに向山氏は「組織論」だけでなく、「活動論」、「指導論」を合わせ、「学級経営」というわけだ。もうほんとに自分でも驚いた。自分が必要だと思って誰にも聞かず、自分で試行錯誤しながらやっていることが、10年前に理論として形作られていたということに。自分は間違っていなかったと思うと同時に、さらにここから発展させていく使命があるな、なんて思った。それをやるためには次に、学級ではなく学校を、さらには教職員と呼ばれる人たちを組織していくことが必要だなあ。

向山氏はそれをやったわけで、本書の中には繰り返しそのことが、その成果が、その偉大さが(自分で)書かれているわけだが、とても自分にはできそうにない。何より、「法則化運動はネアカ(死語)の集まりです」って、「ネクラ」な僕にはとてもできそうにない。論文やレポートを書き、雑誌に投稿し、全国的に知名度を得ることにメリットがあることは十分わかっているけれど、そりゃバイタリティのある体育会系の人間の発想であって、そうすることによるデメリットだって一方ではあるはずだ。

ネクラ人間の法則化。ネクラなので人とのつながりには重きを置かないし、そもそも外に出ない。出たがらない。昔はそれでは駄目だったんだろうけど、今はそうでもない。10年前と比べ物にならないくらい情報インフラは整備され、時代は今やWeb2.0である。人とのつながりですら情報化されてしまう時代である。家にいながら、ネットを通じて、匿名で、誰でも自分の意見や実践を表明できる。そんな時代の法則化運動とはなんなのか。今の僕が考えるべき主題はそこだ。その思考の一端として、このブログは存在している。そして、このブログが教育界のすみっこでいいから存在できれば。今はそんなことを考えている。