Arctic Monkeys "Humbug"

Humbug

Humbug

Rockin' on 2009年9月 P30 
Rockin' on 2009年10月 P232 天井潤之介「加速する文化」にロックンロールの意義を問う、極私的アークティック・モンキーズ試論

21世紀に自由であるということ

Arctic Monkeysは、自由なバンドだ。

デビューは、(意図的かどうかは抜きにして、)ネット上で火がついたところからスタートしている。そのデビューからして彼らは、数多くのアーティストが苦悩し、絡め取られてきたレーベルという存在を軽く飛び越えてしまっている。

卓越したソングライティング能力で、有無を言わさぬ1stアルバムを世間に叩きつける。しかし、当時平均年齢20歳くらいという若さあふれるバンドのくせに、彼らほどロックの原動力である「初期衝動」という言葉が全く似合わないバンドもない。

どこか醒めた視点がある。2ndアルバムは、1stのメロっぽさを愛したファンの期待を大きく裏切ることになる。しかし、彼らは大きく成長している。地に足をしっかりとつけて、特に、リズム隊のもつグルーヴ感をしっかりと全面に押し出したアルバムだ。

何かにとらわれている、ということがまるでない。体制や、期待や、過去。あらゆるロックバンドがとらわれてきたものに、あまり関心がないように見える。彼らが自由であるのは、自分をとらえる何かにカウンターを決めて解き放たれるからではなく、そもそもとらわれてなどいないのだ。21世紀を生きるわたしたち全てが感じている、あの「なんとなく」という虚無感、かれらが体現しているロックは、まさにそういうものなのかもしれない。

3rdアルバムで彼らは、砂漠に向かった。レコーディング先は、ヨシュアトゥリー。プロデューサーは、ジョッシュ・オム。一見すると似つかわしくないこの取り合わせも、なんだか納得がいく。何にもとらわれない者がたどり着くのは、何もない砂漠か、極地か。北極から出発した猿たちは、今砂漠にたどり着いた。

スローテンポな曲が多い。初期の彼らを象徴していた疾走感はまるでない。しかし、それでいて、濃厚で、衝動的なリズムトラックが続く。夜の砂漠でたき火をかこんでおどる。