ポスト・ハードコア考

ロックのカウンター・カルチャーとして出発したのがパンクならば、ハードコアはパンクのカウンター・カルチャーである。「裏の裏は表」というような話ではあるが、そうではない。カウンター・カルチャーのカウンター・カルチャーは、より深い次元にまでその本質を掘り下げていく。結果、彼らはロックの形骸化を看破し、そこは誰もが夢見る理想の楽園ではなく、草木も生えぬ不毛の土地であることを証明するに至る。僕のハードコア観はこんな感じ。要するに、パンクもハードコアも、「破壊」したのではなく、そこにある価値観が古びて使い物にならなくなっていることを指摘しただけだと思っている。

だからこそ、その後に建設的な活動が行われるようになる。パンクの後には、ポスト・パンクニューウェーブがあった。では、ポスト・ハードコアとは何なのか。僕は、その特徴として、以下の点を挙げたいと思う。

  1. バンドの解体
  2. ルーツへの回帰

1.は、ロック・バンドという枠があいまいになってきているという点である。The White Stripes*1Lightning Boltなど二人編成、はたまたフリーク・フォークなどにおけるSSWの存在。バンド間のメンバーの交流やソロ活動。日本においては関西ゼロ世代の活動がその傾向が強い。
2.は、既存のフォーマット以前のフォーマットへの回帰、というよりも、ルーツミュージックの普遍性だけを抽出する行為というかなんというか。

ポスト・ハードコアについて考えることは、先日書いた「旧来の大衆音楽と現在の大衆音楽の乖離を埋める何か」*2の正体と関わりがある話だと僕は思っているのですがどうでしょう。

*1:別にハードコア出身というわけではないのだけれど、彼らの出現はポスト・ハードコア期における必然のような気がするのです。

*2:参照:ソウル・フラワー・モノノケ・サミット「歌は人間を変える」