小野セツローさんのかんざし

よめさんと神戸の草灯舎へ行った。目的は、小野セツローさんの個展を見に行くことだった。僕らはセツローさんのことを何にも知らなかったけれど、お店から届いたはがきを見て、おもしろそうなので行ってみたのだ。

久しぶりの神戸は実によいお天気で、人でごったがえしていた。

草灯舎は、海岸ビルヂングという古い洋風建築ビルの2階にある。狭い店内は、これまた人でごったがえしていた。そして、その狭い店内には、実にかわいらしいかんざしが、お行儀よく並べられていた。どのかんざしの先にも、美しい石でできた丸いかざりがついていた。

これらの飾りは、全て何百年も前のガラスや陶器でできたビーズだそうである。中には遺跡から発掘されたものもあるそうだ。その事実に僕は、たいそう驚いた。紀元前後ごろのローマのガラス玉など、おそらく史学的な価値も高いであろうものを、かんざしの飾りとして用いる。その発想の大きさにまず驚いた。そして、それらが「かんざし」という今はほとんど使われない和の小物として加工されていたことに驚いた。しかし、最も驚いたのは、気の遠くなるような年月を経た物体と、今はなき日本の服飾文化の小物という歴史の中に置き忘れられた物同士をかけあわせると、現代でも通用しうるアイテムとなるということだ。

高かったけれど、思わず購入して、よめさんのプレゼントとした。これは、それだけのお金を払う価値があるものだ。

店内には、これらを作った作者の小野セツローさんがいた。車椅子に腰掛けて、元気に他のお客さんと語らう老人。御年七十七歳。最近倒れられたそうなのだが、そのような印象は全く受けないほど闊達で、お元気そうであった。かんざしを買ったあと、ともに買ったポストカードブックにサインをしていただいた。2〜3言お話をしたが、つやのいいお顔に笑顔を絶やさず、しかし、目線はまっすぐこちらから外さないそのお姿が非常に印象的であった。かんざしの中には、メソポタミアの青銅製の山羊の飾りがついたものもあった。これについてもお話を伺うと、

「値段はついてるけど、これは僕のコレクションなの。」

と仰った。本当に素敵な御仁であった。いつまでもお元気でいてください。